怪談説法とは何か――三木住職という存在
- sinsirokeibi
- 1月9日
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「怪談説法(かいだんせっぽう)」とは、怪談を通して人の心を開き、最後に仏教の教えへと導く説法の形です。この独自の説法で知られているのが、三木大雲(みき だいうん)住職です。
三木住職の怪談は、単に怖いだけの話ではありません。そこに登場するのは、どこにでもいそうな普通の人間であり、聞き手自身の姿と重なる存在です。だからこそ、話を聞いたあとに残るのは恐怖よりも、「自分はどう生きているのか」という問いなのです。
本屋で出会った“末期がんの人”
三木住職が語る怪談の中に、非常に印象深い本屋での出来事があります。
ある日、住職が立ち寄った本屋で、一人の男性が目に留まりました。様子を見るに、明らかに普通の状態ではありません。住職には直感的に分かりました。――この人は、末期がんだ。
棚の前で立つその男性に、三木住職は思い切って声をかけます。見ず知らずの相手に、これほど踏み込んだことを言うのは勇気がいります。しかし、放っておけなかったのです。
住職は、静かに、しかしはっきりと伝えました。「私には、病気の人が分かるんです。申し上げにくいのですが、あなたからはがんの匂いがします。すぐに病院へ行ってください」
すると男性は、穏やかな表情でこう答えます。「え?いやいやいや。もう私、声をかけていただいただけで、嬉しいです。本当にありがとうございます。」
住職はもう一度言います。「いえ、そういうことではありません。本当に、今すぐ病院へ行ってほしいのです」
しかし男性は首を横に振ります。「声をかけてもらえただけで十分です。病院は、もういいんです」
このやり取りが、何度か繰り返されました。住職は必死です。命がかかっている。しかし、男性はどこか満ち足りた表情を崩しません。
やがて男性は、住職の顔をじっと見つめ、こう言いました。「あなた、お坊さんですよね。……じゃあ、本当のこと言ってもいいか。実はね、私、死んでるんです」
そう言い終えた瞬間、男性はすっと姿を消しました。そこには誰もいません。足音も、気配も残っていなかったそうです。
怪談を聞いた暴走族の総長の一言
この話を、三木住職は後に、ある暴走族の集まりで語りました。皆が静かに聞き入る中、話が終わった瞬間、暴走族の総長がぽつりと口を開きます。
「……それって、俺じゃん」
住職は一瞬、意味が分かりませんでした。「え?幽霊ってこと?」しかし、総長が言いたかったのは、そういう意味ではありませんでした。
総長は、自分の過去を語り始めます。子どもの頃から、親にないがしろにされてきたこと。何をしても関心を持たれず、存在を認めてもらえなかったこと。
「生きてるのに、誰にも見えてない。ずっと、自分は幽霊みたいだと思ってました」
だから暴走族をやった。騒げば警察が来る。怒られる。追いかけられる。それだけで、「自分はここにいる」と実感できた。
「相手にされるってことが、生きてる証だったんです」
三木住職は、この言葉を聞いたとき、本屋で出会った“幽霊”の男性と、この総長が重なったと言います。生きているか、死んでいるかではない。存在を認められているかどうか――それが問題だったのです。
怪談説法が突きつける本当の問い
三木住職の怪談説法は、幽霊の正体を暴く話ではありません。それは、怪談説法を通じて仏教についての考えを世の中に広めるのです。また今回の話では、「人はいつ幽霊になるのか」という問いを、私たちに投げかけます。
誰にも気づかれず、声も届かず、存在を認められない。その状態は、生きていても“死んでいる”のと同じなのかもしれません。
警備員の仕事と重なる部分
この話は、警備員の仕事とも深く重なります。
警備員は、常に現場に立っています。しかし、ただ立っているだけの存在であれば、それは「そこにいない存在」と同じです。現場に関わる方々の命と安全を守る行動、これを取ることで初めて「警備員」になるのです。そういった行動を取っていることで、周囲からも「警備員」として認めてもらい、自分の役割や存在意義を実感することができるのです。
おわりに
怪談説法は、恐怖のための話ではありません。それは、人が人として生きるために、何が必要なのかを静かに問いかける説法です。
三木住職の怪談説法は、そのことを私たちに、深く、そして忘れられない形で教えてくれます。



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