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実は神様がいない訳じゃない?なぜ10月を神無月と言うのか、本当の語源をスッキリ解説

  • sinsirokeibi
  • 10月25日
  • 読了時間: 9分

10月がなぜ神無月と呼ばれるかご存知ですか?実は神様がいない訳ではなく、全国の神様が出雲に集まるためというのが有力な説です。この記事では、神無月の本当の語源や出雲の神在月との関係、神社へのお参りはどうすべきかまでスッキリ解説します。


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1. なぜ10月を神無月と言うのか 最も有力な由来を解説

10月の和風月名である「神無月(かんなづき)」。文字通り「神様がいない月」と解釈されがちですが、その由来にはいくつかの説があります。ここでは、その中でも最も広く知られている有力な説を2つ、分かりやすく解説します。


1.1 全国の神様が出雲大社に集まる月

神無月の由来として最も有名なのが、日本全国の八百万(やおよろず)の神々が、会議のために出雲大社(島根県)へとお出かけになるという説です。各地の神様が留守になることから、その土地には神様が「いない」状態となり、「神無月」と呼ばれるようになったと言われています。この説は平安時代の文献にも記述が見られ、古くから人々の間で語り継がれてきました。


1.2 「無」は「いない」ではなく「の」を意味する説

もう一つの有力な説は、語源に注目したものです。この説では、神無月の「無(な)」は「無い」という意味ではなく、連体助詞の「の」と同じ働きをする言葉だと考えられています。つまり、「神無月(かんなづき)」は元々「神の月(かみのつき)」であり、神様を祀る月、収穫された新しい穀物を神に捧げ感謝する月という意味が本来の姿だったというわけです。時を経て、「神の月」が「神無月」へと変化したとされています。


2. 神様が集まる出雲地方では「神在月」と呼ばれる

10月を「神無月」と呼ぶのは全国的な風習ですが、実は日本で唯一、10月を「神在月(かみありづき)」と呼ぶ地域があります。それが、全国の神様が集まる目的地とされる島根県の出雲地方です。

他の地域では神様が不在になるため「神無月」ですが、出雲には八百万(やおよろず)の神々がお集まりになるため、神様が在(い)らっしゃる月、「神在月」となるのです。この呼び名の違いからも、神無月の由来が出雲の神話と深く結びついていることがわかります。


2.1 なぜ神様は出雲に集まるのか

では、なぜ神様たちは広大な日本の中から出雲の地を目指すのでしょうか。その理由は、出雲大社の御祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)のもとに、神々が集うためとされています。

日本の神話において、大国主大神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)に国を譲りました。その際、目に見える世界の政治は天照大御神の子孫に任せ、自身は目に見えない世界(幽事・かくりごと)を治めることになったと伝えられています。この「幽事」には人々の運命や縁も含まれるため、年に一度、全国の神々が出雲に集まり、人々の来年のご縁を結ぶための会議「神議り(かむはかり)」を行うのです。


2.2 出雲大社では神在祭が行われる

神様が出雲にお集まりになる神在月には、出雲大社で「神在祭(かみありさい)」と呼ばれる特別な神事が執り行われます。これは旧暦の10月10日から17日までの期間を中心に行われ、神話の世界を今に伝える荘厳な祭りです。

神在祭の期間中には、以下のような一連の神事が行われます。

神事

内容

神迎神事(かみむかえしんじ)

出雲大社の西にある稲佐の浜で、全国から到着された神々をお迎えする神事。

神在祭

神々が滞在される期間中、本殿や境内の摂社で毎日行われる祭事。

縁結大祭(えんむすびたいさい)

神議りの後、人々の良縁を祈願して行われる大祭。

神等去出祭(からさでさい)

会議を終え、それぞれの国へお帰りになる神々をお見送りする神事。

このように、出雲では神話に基づいた神事が現在も大切に受け継がれており、神在月は特別な意味を持つ月とされています。


2.2.1 神様たちは縁結びの会議をしている?

神様たちが集まって行う「神議り」では、一体何が話し合われているのでしょうか。一般的に「縁結び」というと恋愛や結婚をイメージしがちですが、神議りで話し合われるのはそれだけではありません。

ここでいう「縁」とは、男女の縁はもちろん、仕事、お金、友人、健康、子宝など、人々が生きていく上でのあらゆる繋がりを指します。神様たちは、誰と誰をどんな縁で結ぶか、来年の人々の運勢や巡り合わせについて、慎重に話し合っているとされています。私たちの知らないところで、来年の幸福のための大切な会議が開かれていると考えると、神無月(神在月)がとても神聖な期間に感じられますね。


3. 神無月の語源に関するその他の説

神様が出雲に集まるという説が最も有名ですが、神無月の語源には他にもいくつかの説が存在します。ここでは代表的な2つの説をご紹介します。


3.1 収穫を祝う「神嘗祭」が由来という説

一つ目は、収穫祭に関連する説です。10月は多くの地域で稲刈りが終わり、その年の収穫に感謝する季節です。この時期、新米を神様に捧げて収穫を祝う「神嘗祭(かんなめさい)」が行われます。

この「神嘗祭」の「神嘗(かんなめ)」が転じて「神無(かんな)」になったという説です。つまり、「神の月」を意味する「神な月(かみなづき)」が変化したという解釈で、神様がいないという意味ではないとする考え方です。


3.2 雷が鳴らない「雷無月」が転じたという説

二つ目は、気候に関連する説です。旧暦の10月は、現在の11月頃にあたり、夏に比べて雷が鳴らなくなる季節です。このことから、「雷の無い月」という意味の「雷無月(かみなしづき)」が「神無月(かんなづき)」に転じたという説もあります。

昔の人々にとって雷は神の鳴らすものと考えられていたため、「雷が鳴らない=神様の活動が静まる月」と捉えられたのかもしれません。これもまた、神様が完全に不在になるという意味合いとは少し異なります。


4. 神無月には神様が留守になる?神社へのお参りはどうする?

「神様が出雲へ行ってしまうなら、近所の神社にお参りしても意味がないのでは?」と心配になる方もいるかもしれません。しかし、結論から言うと、神無月であっても神社へお参りして全く問題ありません。その理由を解説します。


4.1 お参りしても問題ない理由

神様が出雲へ出張されるという話は、あくまで数ある説の一つです。また、すべての神様が出雲へ行ってしまうわけではないと考えられています。

さらに、神様の御神徳(ご利益)は、神様ご自身がその場にいなくても、神社という神聖な場所に宿り続けているとされています。そのため、神様がご不在でも、私たちの祈りや感謝の気持ちはきちんと届くのです。日頃の感謝を伝えたり、お願い事をしたりするために、いつも通りお参りして大丈夫です。


4.2 留守を守る「留守神」もいる

全国の神様が出雲へ向かう中、自分たちの土地を離れず、留守を守ってくださる「留守神(るすがみ)」様もいらっしゃると考えられています。

代表的な留守神様としては、商売繁盛の神様である恵比寿様(えびすさま)や、家の守り神であるかまど神(荒神様)、道祖神などが挙げられます。これらの神様は私たちの生活に密着した存在であるため、神無月でも変わらず私たちを見守ってくださっているのです。安心して日々の感謝をお伝えしましょう。


5. 神無月の語源に関するその他の説

「神無月」の由来として最も有名なのは「全国の神様が出雲に集まるため」という説ですが、実は他にもいくつかの説が存在します。これらは日本の農耕文化や季節感と深く結びついており、神無月の多面的な意味を教えてくれます。ここでは、特に有力とされる2つの説を解説します。


5.1 収穫を祝う「神嘗祭」が由来という説

一つ目は、その年の収穫に感謝するお祭りが語源となったという説です。旧暦10月には、宮中で天皇がその年に収穫された新米(新穀)を天照大御神(あまてらすおおみかみ)に奉納し、収穫に感謝する「神嘗祭(かんなめさい)」という非常に重要な祭事が行われます。

この「神嘗祭」が行われる月であることから「神嘗月(かんなめづき)」と呼ばれ、その音が次第に「神無月(かんなづき)」に転じたと考えられています。神様に収穫を感謝する月、という意味合いが込められた説です。


5.2 雷が鳴らない「雷無月」が転じたという説

二つ目は、天候に由来する説です。旧暦の10月頃になると、夏の間に鳴り響いていた雷がほとんど発生しなくなります。古代の日本では、雷は稲を実らせる力を持つと信じられていました。その恵みの雷が鳴らなくなる月、という意味で「雷無月(かみなしづき)」と呼ばれ、これが音韻変化して「神無月(かんなづき)」になったという説です。

こちらも、自然のサイクルと共に生きてきた日本人の季節感を色濃く反映した興味深い語源と言えるでしょう。

これら「出雲説」以外の主な語源説をまとめると、以下のようになります。



神無月の語源に関するその他の説

説の名称

由来となった言葉

説の概要

神嘗月説

神嘗月(かんなめづき)

その年の収穫を神様に感謝する「神嘗祭」を行う月であることから。

雷無月説

雷無月(かみなしづき)

稲を実らせる雷が鳴らなくなる月であることから。


6. 神無月には神様が留守になる?神社へのお参りはどうする?

「神無月には全国の八百万(やおよろず)の神様が出雲に出かけてしまう」と聞くと、「その間に神社にお参りしても、神様がいないのでは?」と不安に思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、結論から言うと、神無月にお参りしても全く問題ありませんその理由を詳しく見ていきましょう。


6.1 お参りしても問題ない理由

神様がご不在とされる神無月でも、神社への参拝に何ら支障がないとされるのには、いくつかの理由があります。

まず、すべての神様が出雲へ行ってしまうわけではないという考え方です。例えば、その土地や人々を守る氏神(うじがみ)や産土神(うぶすながみ)、伊勢神宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)や、各家庭の神棚にお祀りしている神様は、出雲へは行かずにそれぞれの場所を守っているとされています。

また、神様は「分霊(わけみたま)」によって無限に分かれることができるとも考えられています。たとえ出雲へお出かけになっていたとしても、神様の御霊は神社にきちんと鎮座しており、私たちの祈りや感謝の気持ちをしっかりと受け止めてくださるのです。


6.2 留守を守る「留守神」もいる

さらに、神様方が不在の間、神社を守る「留守神(るすがみ)」の存在も伝えられています。出雲へ行かずに、地域や人々を見守ってくれる頼もしい神様がいるのです。

留守神として最も有名なのが、七福神の一柱でもある恵比寿(えびす)様です。恵比寿様は耳が遠いため、出雲からの招集に気づかず、そのまま残って留守を守ってくれる、というユニークな逸話が広く知られています。

他にも、地域や伝承によって様々な神様が留守神とされています。代表的な留守神とそのご利益を以下にまとめました。

留守神とされる主な神様

主なご利益

恵比寿様(えびすさま)

商売繁盛、大漁満足、五穀豊穣

金毘羅様(こんぴらさま)

海上交通の守護、交通安全

荒神様(こうじんさま)

火の安全、家内安全、厄除け

道祖神(どうそじん)

旅の安全、縁結び、子孫繁栄

このように、神無月であっても私たちの暮らしのそばには多くの神様がいらっしゃいます。安心して神社を訪れ、日頃の感謝を伝えたり、お願い事をしたりして大丈夫です。


7. まとめ

10月が神無月と呼ばれる最も有力な理由は、全国の八百万の神々が出雲大社に集まるためです。神様が集う出雲地方では「神在月」と呼ばれ神事が行われます。神様がご不在でも留守神がいるため、神社へのお参りは問題ありません。

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