世界一ややこしくて美しい!? 不思議なことば 日本語
- sinsirokeibi
- 10月19日
- 読了時間: 5分

「日本語って、ほんとややこしい!」これは外国人だけでなく、日本人自身が時々感じることかもしれません。
たとえば、同じ言葉で「褒める」ことも「けなす」こともできるし、一つの単語が時代とともに全く逆の意味になっていたりもします。
それなのに──なぜか日本語って美しい。その「ややこしさ」と「奥ゆかしさ」が共存しているのが、他の言語にはない魅力なのです。
今日はそんな日本語の“ふしぎな世界”を、ちょっと笑えて、ちょっと感動できる角度から覗いてみましょう。
■ 「ありがとう」と「すみません」が同じ!?
最初に紹介したいのは、日本語特有の“気持ちの交差”です。
レストランで水を持ってきてくれた店員さんに「ありがとうございます」と言うのは普通ですが、同じ場面で「すみません」と言う人もいますよね。
これ、よく考えると不思議です。感謝しているのに、なぜ「すみません=謝罪の言葉」になるのか?
実は日本語では、「すみません」はもともと「心が済まない」という意味。つまり、「こんなことをしてもらって申し訳ないけど、ありがたい」という感謝+遠慮の気持ちを同時に伝える言葉なのです。
外国語では “Thank you” と “I’m sorry” はまったく別物。でも日本語ではその境界があいまいで、むしろその“あいまいさ”が温かさを生み出しています。
ちょっと不思議だけど、どこか人間らしい。そんな言葉のゆらぎが、日本語の魅力のひとつです。
■ 「私」「僕」「俺」「あたし」…自分を表す言葉が多すぎる!
英語では「I」だけで済むのに、日本語では「私」「僕」「俺」「あたし」「わたくし」「うち」「おいら」…と、自分を指す言葉がまるでカラフルな絵の具のようにそろっています。
それぞれの“自分”が微妙に違うニュアンスを持っているのが面白いところ。
たとえば――
「私」:中立で丁寧、ビジネスやフォーマル向け。
「僕」:柔らかく、少し優しい印象の男性語。
「俺」:力強くフランクな響き。
「あたし」:くだけていて親しみやすい女性語。
「わたくし」:礼儀正しいが、少しかしこまった場面に。
つまり、日本語の“私”は1つじゃない。場面や相手、気分によって「どの自分を出すか」を選べる言語なのです。
この多様さは、ある意味で日本語の“人格表現の自由”とも言えます。その日の自分を、言葉でデザインできる──ちょっと素敵じゃありませんか?
■ 英語に訳せない日本語たち
世界中の翻訳者が頭を抱えるのが、「英語に訳せない日本語」。たとえば、次のような言葉たちです。
「お疲れさま」:労い・感謝・ねぎらい・共感が一体化した言葉。
「木漏れ日」:木の葉の間から差す日の光という繊細な情景。
「もったいない」:物理的な浪費だけでなく、“心の余白”を惜しむ感覚。
「よろしくお願いします」:未来への協力を願うあいさつ。
どれも英語で完全に再現するのは難しい。「お疲れさま」を “Good job!” にしても、「よろしく」を “Nice to meet you” にしても、本来の“心の温度”が伝わりません。
日本語には、行間に感情を込める力があります。言葉の外側で「察する」「感じ取る」文化が根付いているからこそ、一語で多くを語ることができるのです。
■ 「やばい」は天才的な言葉!
「やばい、このラーメンうまい!」「やばい、寝坊した!」…どっちも“やばい”なのに、意味が真逆ですよね。
本来「やばい」は、江戸時代の隠語で「都合が悪い」「危険」というネガティブな意味でした。ところが、若者の間で「最高」「すごい」「感動した」というポジティブな意味にも使われるようになった。
つまり、“悪い”と“良い”が共存する、まさに日本語の進化の象徴。
他の言語でもスラングはありますが、ここまで柔軟に意味を広げる例はあまりありません。「やばい」は文脈次第でいくらでも変化する万能語。時代とともに人の感情を受け止め、変わり続ける──天才的な日本語なのです。
■ 「いただきます」に込められた哲学
食事の前に言う「いただきます」。英語では “Let’s eat!” などと訳されますが、それではまったく意味が違います。
「いただきます」は、食材や命、作ってくれた人への感謝、そして「生きる」という行為への敬意を込めた言葉です。
この一言に、日本人の“命の連鎖を意識する文化”が凝縮されています。誰かの命を“いただく”ことで自分が生きる。その事実を日常のあいさつにしているのが、日本語のすごいところです。
日本語の中には、哲学が息づいているのです。
■ ややこしさ=美しさ、日本語の魔法
ここまで見てきて感じるのは、日本語の“ややこしさ”こそが、そのまま“美しさ”につながっているということ。
ひとつの言葉に複数の意味があるのは、多様な感情や状況を包み込む柔らかさがあるから。
日本語は、言葉そのものがまるで生き物のように、時代とともに呼吸し、変化し、進化しています。
それは決して不便なことではなく、人の心の複雑さを映す鏡なのです。
■ おわりに──「言葉で人を包む」文化へ
世界には6,000以上の言語がありますが、日本語ほど「気持ちを包み隠す」ことに長けた言葉は少ないと言われます。
直接言わなくても伝わる。謝りながら感謝する。“私”の中に何通りもの“私”がいる。
日本語はまさに、世界一ややこしくて、世界一やさしい言葉です。
だからこそ、私たちはこの言語を誇りに思っていいのではないでしょうか。その曖昧さと奥深さの中に、人の心の豊かさが息づいているのです。



コメント