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ノストラダムスもびっくり― 昔語られた「未来予言」は、どこまで当たったのか②

  • sinsirokeibi
  • 1月18日
  • 読了時間: 4分

未来予言は、なぜか外れたものばかりが記憶に残る。空飛ぶ車、週休3日制、世界の終末――確かに、多くは実現しなかった。

しかし、30年前に語られていた未来の中には、「当時はピンとこなかったが、今になって現実味を帯びてきた予言」「当たったようで、実は予想と違う形で実現したもの」も少なくない。

今回は、前回とは少し角度を変え、**“外れたと思われていた予言”や“評価が難しい未来予測”**を中心に検証していく。


■ 予言①

「現金はなくなり、すべて電子マネーになる」

1990年代後半、IT特集や未来社会論でよく語られていたのが、「紙幣や硬貨は姿を消す」という予言だった。

カード決済、電子マネーが普及し、財布を持たずに生活する時代が来る。当時としては、かなり先進的な未来像だった。

現実はどうなったか。電子決済は確かに広がった。スマートフォン一つで買い物ができる場面も増えている。

しかし、現金は今も健在だ。特に災害時や高齢者層、地域社会では現金の重要性が再認識されている。

この予言は、「方向性は当たったが、消えるという点では外れた」典型例と言えるだろう。


■ 予言②

「人間関係は希薄になり、孤独な社会になる」

インターネット普及前夜、「便利になるほど人は孤独になる」という予言も多く語られていた。

顔を合わせずに買い物をし、会話は減り、地域社会は崩壊する――。やや悲観的な未来像だった。

現実はどうなったか。確かに、近所付き合いは減った。一方で、SNSやオンラインコミュニティによって、新しい形のつながりも生まれている。

孤独になったのか、つながり方が変わったのか。この予言は、評価が分かれるところだ。


■ 予言③

「専門職は不要になり、誰でも同じ仕事をする社会になる」

技術進歩によって、「仕事の差はなくなり、専門性は意味を失う」という未来像もあった。

コンピューターがすべてを判断し、人間は指示に従うだけになる。そんな予測だ。

現実はどうなったか。実際には逆の現象が起きている。汎用的な仕事は自動化され、専門性の高い職種ほど価値が上がった。

この予言は、方向を完全に読み違えた例と言える。


■ 予言④

「日本は“安全な国”ではなくなる」

1990年代、一部の識者は「治安は徐々に悪化し、日本も危険な国になる」と警鐘を鳴らしていた。

当時は「大げさだ」と受け取られることも多かった。

現実はどうなったか。凶悪犯罪の件数自体は大きく増えてはいない。しかし、詐欺、サイバー犯罪、無差別的な事件など、“予測されていなかった危険”が増えている。

この予言は、「形を変えて当たりつつある」と言えるかもしれない。


■ 予言⑤

「人は情報に振り回されるようになる」

情報化社会が進めば、人は正しい判断ができなくなる――そんな未来像も語られていた。

当時はやや抽象的で、現実味に欠ける予言だった。

現実はどうなったか。フェイクニュース、誤情報、炎上。情報が多すぎるがゆえに、「何を信じればいいのか分からない」状況が生まれている。

この予言は、かなり鋭かったと言える。


■ 予言⑥

「便利さと引き換えに、管理される社会になる」

利便性の向上と同時に、個人情報や行動が管理される社会になる――これも30年前に語られていた未来の一つだ。

現実はどうなったか。スマートフォン、位置情報、監視カメラ。利便性の裏側で、私たちは確実に“見える存在”になった。

便利さを選んだ結果としての管理社会。この予言は、かなり現実に近づいている。


■ なぜ未来予言は当たりにくいのか

未来を予測すること自体は、決して無意味ではない。しかし、多くの予言は「技術がどうなるか」ばかりを見て、「人間がどう行動するか」を読み切れなかった。

人は、合理的に動くとは限らない。不安、感情、習慣、価値観。それらが未来を複雑にしている。


■ まとめ

未来予言は「答え」ではなく「ヒント」

30年前に語られた未来予言は、当たったものも、外れたものもあった。しかし、どれも「完全に無意味」だったわけではない。

それらは、当時の人々が何を恐れ、何を期待していたのかを映す鏡でもある。

今、私たちが語っている未来予測も、30年後には検証される側になるだろう。

そのとき、「ノストラダムスもびっくり」と言われないために、未来を一つの可能性として、冷静に見ておく必要があるのかもしれない。

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