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【9割が知らない】体育の日に込められた秘話|東京オリンピックとの感動の物語

  • sinsirokeibi
  • 10月9日
  • 読了時間: 7分

次の祝日は「スポーツの日」です。2020年にこの名称に改訂されましたが、それまでは「体育の日」として、広く国民に知られていました。また1999年までは、「体育の日」は毎年「10月10日」でした。皆さんは体育の日がなぜ10月10日だったかご存知ですか?この記事を読めば、その起源である1964年東京五輪と、原爆投下の日に生まれた聖火最終ランナーに託された平和へのメッセージ、知られざる感動の秘話が全てわかります。

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1. 体育の日とは 祝日の意味と歴史を振り返る

「体育の日」と聞くと、秋の運動会やスポーツイベントを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。2019年まで国民の祝日として親しまれてきたこの日は、単に運動をする日というだけではありません。その制定には、日本の歴史における大きな出来事が深く関わっています。まずは、体育の日がどのような意味を持ち、どのような歴史を歩んできたのかを振り返ってみましょう。


1.1 国民の祝日としての意味

体育の日は、1966年(昭和41年)に「国民の祝日に関する法律」(祝日法)によって制定されました。法律で定められたその目的は、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」というものです。この日を通じて、国民がスポーツの楽しさや大切さを再認識し、健康増進への意識を高めることが期待されていました。


1.2 体育の日の歴史と日付の変遷

体育の日は、時代と共にその日付や名称を変えてきました。その背景には、祝日のあり方に関する社会の変化があります。制定から「スポーツの日」へと名称が変わるまでの主な変遷を以下にまとめます。



体育の日の変遷

期間

日付

備考

1966年〜1999年

10月10日(固定)

1964年東京オリンピックの開会式を記念して制定されました。

2000年〜2019年

10月の第2月曜日

連休を増やすことを目的としたハッピーマンデー制度の導入により、日付が移動日になりました。

2020年〜

(スポーツの日に改称)

祝日の名称が「スポーツの日」へと変わりました。

このように、体育の日は当初「10月10日」という特定の日付に大きな意味を持っていました。次の章では、なぜこの日が選ばれ、そこにどのような秘話が隠されているのかを詳しく見ていきましょう。


2. 体育の日に込められた秘話 1964年東京オリンピックが原点

多くの人が「スポーツに親しむ日」として知る体育の日(現在のスポーツの日)。しかし、その起源をたどると、単なる祝日以上の、日本の歴史と深く結びついた感動的な物語が隠されています。その原点こそ、1964年に開催された東京オリンピックです。この章では、体育の日に込められた、戦後日本の復興と平和への願いを象徴する秘話に迫ります。


2.1 なぜ10月10日だったのか 晴れの特異日伝説の裏側

体育の日が10月10日に制定されたのは、1964年の東京オリンピック開会式が行われた日だからです。では、なぜこの日が選ばれたのでしょうか。巷では「10月10日は晴れやすい日だから」という「晴れの特異日」伝説が有名ですが、これは単なる偶然や言い伝えではありませんでした。

実際には、過去の膨大な気象データを徹底的に分析した結果、統計上「最も晴れる確率が高い日」として導き出されたのが10月10日だったのです。戦後復興の象徴である一大イベントを、最高のコンディションで成功させたいという、当時の関係者の強い願いと科学的根拠に基づいた選択でした。

選定の根拠

具体的な内容

気象データに基づく分析

過去数十年の統計から、東京地方における秋の移動性高気圧が安定し、晴天となる確率が最も高い日として選定されました。

国家的な願い

アジア初開催となるオリンピックの開会式を、澄み渡る秋空の下で成功させ、新しい日本の姿を世界に示したいという国民的な思いが込められていました。


2.2 聖火最終ランナーに託された平和へのメッセージ

1964年東京オリンピックの開会式で、世界中の人々の胸を打ったのが、聖火台へ火を灯す聖火リレーの最終ランナーの姿でした。この最終ランナーの人選には、戦争からの復興と、未来への平和を願う日本の強いメッセージが託されていました。


2.2.1 原爆投下の日に生まれた坂井義則さんの物語

聖火台への最後の階段を駆け上がったのは、当時早稲田大学競走部に所属していた19歳の青年、坂井義則さんです。彼はオリンピック選手ではありませんでした。彼がこの大役に選ばれたのには、特別な理由がありました。

それは、坂井さんが1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されたその日に、爆心地からほど近い三次市で生を受けたという事実です。彼の存在そのものが、戦争の悲劇を乗り越えて生まれた新しい日本の「希望」と「平和」を象徴していたのです。


2.2.2 最終ランナー選考の知られざるドラマ

聖火最終ランナーの選考は、国民の関心が非常に高いことから極秘裏に進められました。当初は著名な金メダリストを起用する案もありましたが、組織委員会は「日本の未来を象徴する若者」を最終ランナーにしたいという強い意志を持っていました。

数多くの候補者の中から坂井さんが選ばれたのは、彼の陸上選手としての将来性はもちろんのこと、その出生が持つ物語性が決め手となりました。彼の走りは、単なる一個人のアスリートによるものではなく、戦争で焦土と化した日本が復興を遂げ、平和を希求する国家としてのメッセージを世界に発信するという、歴史的な意味を持っていたのです。


3. 体育の日がスポーツの日に変わった理由

多くの国民に親しまれてきた「体育の日」ですが、現在では「スポーツの日」という名称に変わっています。この変更には、「日付の移動」と「名称の変更」という2つの大きなステップがありました。それぞれの背景には、私たちのライフスタイルの変化や、スポーツに対する価値観の進化が深く関わっています。


3.1 ハッピーマンデー制度の導入と日付の変更

まず、長年「10月10日」で固定されていた祝日が、特定の日付ではなくなりました。そのきっかけとなったのが、2000年から導入された「ハッピーマンデー制度」です。

ハッピーマンデー制度とは、一部の祝日を特定の月の第○月曜日という形に移動させることで土日と合わせた3連休を作り出し、国民の余暇を充実させ、観光業などの経済活性化を促すことを目的とした制度です。この制度の導入により、「体育の日」は2000年から「10月の第2月曜日」へと変更されました。



体育の日 日付の変遷

期間

日付

背景

1966年〜1999年

10月10日(固定)

1964年東京オリンピックの開会式を記念

2000年〜2019年

10月の第2月曜日

ハッピーマンデー制度の適用

これにより、10月10日が晴れやすいという「晴れの特異日」の記憶は残しつつも、より多くの人が連休としてスポーツやレジャーを楽しめるようになったのです。


3.2 スポーツの日という名称に込められた現代の意義

日付の変更に続き、2020年には祝日の名称そのものが「体育の日」から「スポーツの日」へと変わりました。この名称変更は、単なる言葉の置き換えではなく、現代社会におけるスポーツの役割や価値観の変化を反映したものでした。

名称変更の大きな根拠となったのは、2011年に施行された「スポーツ基本法」です。この法律では、スポーツを「心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵養(かんよう)等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動」と幅広く定義しています。

従来の「体育」という言葉には、教育的な側面や学校教育における「身体を育む」というニュアンスが強く含まれていました。それに対し、「スポーツ」という言葉は、競技として行うものだけでなく、楽しむこと、健康増進、観戦や応援、ボランティアとして支える活動など、より自主的で多様な関わり方を含んでいます

「スポーツの日」という名称には、年齢や性別、障がいの有無にかかわらず、誰もがそれぞれの形でスポーツに親しみ、心身ともに健康で文化的な生活を送る社会を目指すという、現代的な願いが込められているのです。2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催年に変更されたことも、この新しいスポーツ文化を日本全体で育んでいこうという機運の表れでした。


4. まとめ

体育の日(現・スポーツの日)は、1964年東京五輪の開会日を記念した祝日です。その背景には、平和への願いを託された聖火ランナーの物語がありました。日付や名称は時代と共に変わりましたが、スポーツに親しむという精神は今も受け継がれています。

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