歴史の「たられば」③もしも坂本龍馬が暗殺されなかったら
- sinsirokeibi
- 2月15日
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幕末の人物の中で、「もしも生きていたら」と最も語られる存在は、間違いなく坂本龍馬だろう。1867年11月、京都・近江屋で暗殺された龍馬は、わずか33年の生涯を閉じた。大政奉還が成り、旧幕府と新政府の行方がまだ定まらない、まさに時代の分岐点での死だった。
もしも、あの夜を生き延びていたら。もしも、明治という新しい時代を龍馬が見届けていたら。日本の近代史は、どのように変わっていただろうか。
坂本龍馬は「倒幕の人」ではなかった
まず重要なのは、坂本龍馬を「倒幕の急先鋒」と誤解しないことだ。
龍馬は、幕府を力で倒すことを第一の目的にはしていなかった。彼が目指していたのは、戦争を起こさずに時代を変えることである。
薩長同盟も、単なる軍事同盟ではなく、「内戦を最小限に抑えるための調整役」として動いていた側面が大きい。
さらに有名なのが、「船中八策」だ。議会の設置、憲法制定、身分制度の見直しなど、龍馬の構想は、すでに“近代国家”を見据えていた。
つまり、龍馬は
・権力を握りたい人
ではなく
・仕組みを作りたい人だった
と言える。
もしも龍馬が生きていたら、戊辰戦争は変わったか
坂本龍馬が暗殺された翌年、日本は戊辰戦争へと突き進む。結果として新政府軍が勝利するが、多くの血が流れた。
もし龍馬が生きていれば、この流れは変わっていた可能性がある。
龍馬は、旧幕府側の人物とも広く人脈を持ち、「勝者がすべてを奪う」形を嫌った人物だ。
彼が仲介役として動いていれば、
・旧幕府勢力の処遇
・地方大名の扱い
は、より穏健なものになったかもしれない。
戊辰戦争が完全に避けられたとは言えないが、少なくとも、あれほどの対立構造にはならなかった可能性はある。
明治政府における坂本龍馬の立ち位置
では、生き延びた龍馬は、明治政府でどんな役割を担ったのだろうか。
ここで意外なのは、龍馬は高官にはならなかった可能性が高いという点だ。
彼は、官僚的な組織や上下関係を嫌っていた。薩摩や長州のような藩の論理にも、距離を置いていた。
おそらく龍馬は、
・政府の外から意見を言う存在
・新しい事業や仕組みを作る民間人
として活動していた可能性が高い。
実際、彼が設立した亀山社中(後の海援隊)は、武装商社であり、株式会社の原型とも言われる存在だ。
日本の資本主義は、もっと早く動き出していたかもしれない
もし坂本龍馬が生きていたなら、日本の経済史も変わっていたかもしれない。
龍馬は、身分よりも能力を重視し、商業や貿易に強い関心を持っていた。
明治初期、日本は「富国強兵」を掲げながらも、官主導の経済政策が中心だった。
そこに龍馬のような人物がいれば、
・民間主導
・海外との対等な商取引
が、より早く根付いた可能性がある。
日本版の“起業家精神”は、もっと幕末の延長線上で育っていたかもしれない。
龍馬が生きていた世界の日本人像
坂本龍馬が長く生きていた場合、彼の生き方そのものが、より強い影響を残しただろう。
身分にとらわれず、敵味方を分けず、国という枠組みで物事を考える。
これは、当時としては極めて異質な価値観だ。
もし彼が明治の世を生き、言葉を残し続けていたら、日本人の「正解主義」や「前例重視」は、少しだけ違う形になっていたかもしれない。
なぜ坂本龍馬は「途中で消えた」のか
歴史は、時に象徴を必要とする。坂本龍馬は、「完成された英雄」ではなく、「可能性のまま消えた人物」だった。
だからこそ、人々は問い続ける。もし生きていたら、と。
もし坂本龍馬が暗殺されなかったら、日本はもっと柔らかく、もっと試行錯誤を許す国になっていたかもしれない。
答えは、永遠に分からない。だが、その問いを持ち続けること自体が、龍馬という人物が遺した、最大の功績なのかもしれない。



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