歴史ミステリー!「いろはうたの秘密」に隠された作者の正体と暗号を紐解く
- sinsirokeibi
- 10月5日
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更新日:10月6日

いろはうたには「咎なくて死す」という暗号が隠され、作者は空海説が有力です。本記事では、作者の正体を巡る謎や暗号の意味、仏教思想との関連を徹底解説。手習い歌として親しまれる歌の、知られざる歴史ミステリーを紐解きます。
1. はじめに いろはうたとは何か 基本と現代語訳
「色は匂へど 散りぬるを…」誰もが一度は耳にしたことがある「いろはうた」。この歌は、単なる言葉遊びや文字を覚えるための手習い歌ではありません。実は、作者の正体から歌に隠された暗号まで、数多くの謎と秘密が秘められた歴史的ミステリーなのです。この記事では、まず「いろはうた」がどのようなものなのか、その基本と心に響く現代語訳から解説していきます。
1.1 七五調で全ての仮名を一度だけ使った誦文
いろはうたの最大の特徴は、「ん」を除く当時の全ての仮名47文字を、一度も重複させることなく使って作られている点にあります。このような技巧は「パングラム」と呼ばれ、限られた文字数で意味の通る文章を構成するには、非常に高度な知識と文才が求められます。さらに、全体が七五調の心地よいリズムで構成されており、古くから文字を覚えるための「手習い歌」として、多くの人々に親しまれてきました。
1.2 いろはうたの全文と読み方
まずは、いろはうたの全文とその読み方を確認してみましょう。歴史的仮名遣いが含まれているため、現代の読み方とは少し異なる部分があります。
1.3 心に響く現代語訳と解釈
この短い歌には、仏教的な無常観に基づいた深い意味が込められています。一般的に知られている現代語訳は以下の通りです。
このように、いろはうたは単なる仮名の羅列ではなく、仏教の根幹をなす「諸行無常」の思想を見事に表現した、哲学的で美しい歌なのです。この普遍的なテーマが、時代を超えて多くの日本人の心に響き、受け継がれてきた理由の一つと言えるでしょう。
2. いろはうたの秘密その1 作者は誰か 謎に包まれた正体
「いろはうた」がいつ、誰によって作られたのか、その起源は今なお厚い謎に包まれています。作者については古くから様々な説が唱えられてきましたが、決定的な証拠は見つかっていません。ここでは、作者を巡るミステリーの核心に迫る、代表的な説をご紹介します。
2.1 最有力候補 弘法大師空海説の根拠
いろはうたの作者として、最も広く知られているのが弘法大師・空海(こうぼうだいし・くうかい)です。空海は平安時代初期に活躍した僧侶であり、真言宗の開祖として、また書家としても非凡な才能を発揮した人物です。
空海説が有力視される背景には、いくつかの理由があります。一つは、いろはうたが仏教の「諸行無常」の思想を詠んでいることです。仏教、特に密教に深く通じていた空海が、その教えを民衆に分かりやすく伝えるために作ったという説は、非常に説得力がありました。鎌倉時代に成立した文献には、すでに空海作者説が記されており、古くから信じられてきたことがわかります。
しかし、近年の研究では、この説に疑問が投げかけられています。その最大の理由は、言葉の音韻です。空海が生きた時代の日本語には、ア行の「え」とヤ行の「え」の音に区別がありましたが、いろはうたではその区別がありません。このことから、いろはうたが作られたのは、音韻の区別がなくなった平安時代中期以降ではないかと考えられており、空海の時代とは合わないのです。
2.2 柿本人麻呂や源高明など その他の作者候補たち
空海以外にも、歴史上の様々な人物が作者候補として名前を挙げられています。いずれも確証はありませんが、それぞれの人物像や時代背景と結びついた興味深い説です。
2.3 なぜ作者は特定されていないのか
これほど有名な歌でありながら、なぜ作者は特定されていないのでしょうか。その最大の理由は、作者を直接示す決定的な一次史料が見つかっていないという点に尽きます。
いろはうたが文献に初めて登場するのは、1079年(承暦3年)の『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)』とされていますが、そこにも作者名はありません。もともと作者の功績を称えるための「作品」というよりは、文字を覚えるための実用的な「手習い歌」として作られ、作者を記録しないまま口伝えで広まっていった可能性が考えられます。
また、後世の人々が歌に権威を持たせるため、偉大な人物である弘法大師・空海の名を作者として結びつけたという側面も否定できません。作者の正体は、これからも解き明かされることのない、日本の歴史が生んだ大きなミステリーの一つと言えるでしょう。
3. いろはうたの秘密その2 歌に仕掛けられた巧妙な暗号
「いろはうた」は、単に仮名を覚えるための手習い歌というだけではありません。その美しい言葉の裏には、作者が仕掛けたであろう複数の暗号や、驚くべき技巧が隠されています。ここでは、いろはうたに秘められた3つの巧妙な仕掛けを紐解いていきましょう。
3.1 文字の入れ替えで現れるメッセージ「とかなくてしす」
いろはうたの文字を7文字ずつ区切り、各行の最後の文字を拾い集めると、あるメッセージが浮かび上がります。これは「折句(おりく)」と呼ばれる言葉遊びの一種です。
このようにして現れる「とかなくてしす」という言葉。これこそが、作者が隠したとされる第一の暗号なのです。
3.1.1 「咎なくて死す」と読む暗号の意味とは
浮かび上がった「とかなくてしす」は、「咎なくて死す(つみがなくて死ぬ)」と読むことができます。これは、無実の罪で死んでいく人物の悲痛な叫びや、無念の思いを表現したメッセージではないかと考えられています。作者が特定されていないため、このメッセージが誰の言葉なのかは断定できませんが、歌が作られた平安時代の不安定な世相や、政治的な陰謀に巻き込まれた人物の姿を反映しているという説もあります。
3.2 全ての仮名を一度だけ使う「パングラム」という技巧
いろはうたが持つもう一つの驚くべき特徴は、当時使われていた仮名47文字(「ん」を除く)を、一度も重複させることなく全て使い切っている点です。このような、ある言語の文字をすべて使って作られた文章を「パングラム」と呼びます。意味の通る美しい歌でありながら、パングラムという極めて高度な制約をクリアしている点は、作者の類まれな言語感覚と教養の高さを示しています。この技巧により、いろはうたは仮名を覚えるための手本として、最適な教材となったのです。
3.3 仏教の教え「諸行無常」を表現する構成
いろはうたの歌詞そのものが、実は仏教の根幹をなす思想を表現した、深い意味を持つ暗号となっています。歌全体で描かれているのは、「この世の全てのものは常に変化し、永遠不変なものはない」という「諸行無常」の教えです。
「色は匂へど 散りぬるを(美しい花もやがては散ってしまう)」という始まりから、「有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず(無常の迷いの世界を超越し、儚い夢のような現実に惑わされることはない)」と結ぶ構成は、仏教の経典である「涅槃経(ねはんぎょう)」の一節を日本語に訳したものであるという説が有力です。単なる言葉遊びに留まらず、人生の真理を説く宗教的なメッセージが込められていることも、いろはうたが時代を超えて人々の心に響く理由の一つと言えるでしょう。
4. いろはうたが作られた時代背景と歴史
「いろはうた」がいつ、どのような社会状況の中で生まれたのかを知ることは、この歌に込められた深い意味を理解する上で欠かせません。ここでは、歌が誕生した平安時代の背景と、その後全国に普及していった歴史的経緯を解説します。
4.1 平安時代に生まれた背景
いろはうたが成立したのは、現在では平安時代中期から後期(10世紀末~11世紀頃)と考えられています。この時代は、遣唐使の廃止などを経て、日本独自の文化が花開いた「国風文化」の最盛期でした。貴族社会を中心に平仮名が広く普及し、和歌や物語文学が隆盛を極めたことが、いろはうたが生まれる大きな土壌となりました。
また、当時の社会には仏教思想、特に「末法思想」が深く浸透していました。これは、釈迦の入滅から時が経つにつれて仏法が衰え、世の中が乱れるという思想です。このような無常観は人々の心に大きな影響を与え、「いろはうた」が主題とする「諸行無常」の教えは、まさに時代の空気感を反映したものだったのです。洗練された仮名文字の技巧と、時代を覆う仏教的な世界観が結びついて、この不朽の名歌は誕生しました。
4.2 手習い歌として日本全国に普及した理由
いろはうたは、単なる歌としてだけでなく、仮名を学ぶための「手習い歌」として、後世に絶大な影響を与えました。その理由は、大きく分けて3つあります。
この優れた実用性と親しみやすさから、いろはうたは貴族階級だけでなく、武士や庶民にまで広く浸透していきました。文字の順序を示すものとして「いろは順」という言葉が生まれたことからも、いかにこの歌が日本の識字教育の根幹をなしてきたかがわかります。
5. まとめ
いろはうたは、作者が弘法大師空海説など諸説あるものの未だ特定されていません。「咎なくて死す」と読める暗号や仏教の諸行無常の思想が込められ、単なる手習い歌ではない多くの謎と深い意味を秘めた歌なのです。



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