電子レンジ発明の秘話、あの都市伝説は嘘?実際はどうだったのか驚きの真実を公開!
- sinsirokeibi
- 10月16日
- 読了時間: 7分
電子レンジ発明のきっかけはチョコバーが溶けた話、有名ですよね。しかしその都市伝説には脚色があり、実際は異なります。この記事では、軍事技術から生まれた真実の発明秘話と、最初に温められた意外な食べ物について詳しく解説します。

1. 電子レンジ発明の有名な都市伝説 チョコバーが溶けた話は本当?
電子レンジがどのようにして発明されたか、多くの人が一度は耳にしたことがある有名なエピソードがあります。それは、技術者のポケットに入っていたチョコレートバーが偶然溶けたことから世紀の大発見に繋がった、というドラマチックな物語です。この感動的な逸話は、果たしてどこまでが真実なのでしょうか。この記事では、その真相に迫ります。
1.1 ポケットのチョコが溶けて大発見という物語
広く知られている都市伝説は、次のような内容です。第二次世界大戦中、アメリカの技術者パーシー・スペンサーが、軍事用レーダーの実験装置であるマグネトロンの前に立ったとき、ふとポケットに入れていたチョコバーがぐにゃぐにゃに溶けていることに気づきました。彼はこの不思議な現象に興味を持ち、マイクロ波が食品を加熱する力を持っていることを発見。これが電子レンジ誕生のきっかけになった、とされています。
この「偶然のひらめき」というストーリーは非常に分かりやすく、多くの人々の記憶に残りました。
1.2 この都市伝説は実際どこまで真実なのか
結論から言うと、ポケットのチョコバーが溶けたという話は、発明のドラマ性を高めるために後から加えられた脚色であり、厳密な事実ではありません。スペンサーがマイクロ波の加熱効果に気づいたのは事実ですが、そのきっかけとなった最初の食材はチョコバーではなかったのです。
では、なぜこの話が広まったのでしょうか。それは「偉大な発明は、ささいな偶然から生まれる」という物語が、人々の心を掴みやすかったからだと考えられます。実際の発見はもっと科学的な観察に基づいたものでしたが、チョコバーの話の方がより親しみやすく、逸話として広まりやすかったのです。都市伝説と記録されている事実を比較してみましょう。
このように、発見のきっかけは全くの偶然ではなく、スペンサーの技術者としての鋭い観察眼と探求心によるものでした。次の章では、この驚くべき発明が実際にはどのようにして成し遂げられたのか、その真実に迫ります。
2. これが真実 電子レンジ発明の秘話を詳しく解説
多くの人が知るチョコバーの都市伝説とは異なり、電子レンジの発明には軍事技術と一人の天才技術者の鋭い観察眼が関わっていました。ここでは、そのドラマチックな真実の物語を詳しく紐解いていきます。
2.1 発明者はパーシー・スペンサーという一人の技術者
電子レンジを発明したのは、アメリカのレイセオン社に勤務していたパーシー・スペンサー(Percy Spencer)という技術者です。彼は小学校中退という学歴ながら、独学で電気工学の知識を身につけた天才技術者として知られています。彼の飽くなき探求心と鋭い洞察力が、のちの世紀の大発明へとつながるのです。
2.2 きっかけは軍事技術のレーダー研究だった
電子レンジ誕生の舞台裏には、第二次世界大戦が大きく関係しています。スペンサーが当時取り組んでいたのは、敵の航空機や艦船を探知するためのレーダー技術の研究開発でした。つまり、電子レンジは平和な家庭のためではなく、元々は軍事目的の技術から偶然生まれた産物だったのです。
2.2.1 マイクロ波を生み出すマグネトロンの存在
レーダー技術の心臓部であった「マグネトロン」こそが、電子レンジ発明のキーパーツでした。マグネトロンは、高出力のマイクロ波を発生させるための真空管で、この装置がなければ電子レンジは生まれませんでした。
2.2.2 偶然ではなく鋭い観察眼が生んだ大発見
ある日、スペンサーが稼働中のマグネトロンの前に立った際、ポケットに入れていたピーナッツバーが溶けていることに気づきました。これが有名な逸話ですが、重要なのはここからです。彼はこの現象を単なる偶然として見過ごしませんでした。「なぜ溶けたのか?」という疑問を持ち、その原因がマグネトロンから発せられるマイクロ波にあると即座に見抜いたのです。この鋭い観察眼と探求心こそが、世紀の大発明につながった最大の要因でした。
2.3 実際に最初に温められたのはポップコーンだった
ポケットのお菓子が溶けたことにヒントを得たスペンサーは、すぐさま実験に取り掛かりました。彼が意図的にマイクロ波を照射して調理を試みた最初の食材は、ポップコーンの種でした。マグネトロンの前に置かれた種は、たちまち弾けてポップコーンになったのです。次に試した卵は、内側から急激に加熱されたことで爆発してしまいましたが、この2つの実験によって、スペンサーはマイクロ波が食品の調理に応用できることを確信しました。
3. 世界初の電子レンジは巨大で高価な怪物だった
パーシー・スペンサーの世紀の大発見から生まれた世界初の電子レンジ。しかし、その姿は私たちが今使っているスマートな調理家電とは似ても似つかない、まさに「怪物」と呼ぶにふさわしいものでした。その巨大さ、価格、そして性能から、当初はごく限られた場所でしか使われない特殊な装置だったのです。
3.1 業務用「レーダーレンジ」の誕生
スペンサーが所属していたレイセオン社は、この新しい調理技術を1947年に「レーダーレンジ(Radarange)」という名で製品化しました。これが世界で初めて市販された電子レンジです。しかし、そのスペックは驚くべきものでした。
まず、その大きさです。高さ約1.8m、重さは約340kgもあり、大人の男性よりも大きく、家庭用の冷蔵庫をはるかに凌駕するサイズ感でした。さらに、内部のマグネトロンを冷却するために水道管を接続する水冷式で、設置には大掛かりな工事が必要でした。
そして最も大きな障壁が価格です。価格はなんと当時の価格で約5,000ドル。現在の価値に換算すると数百万円にもなる超高級品で、一般家庭が手を出せるものでは到底ありませんでした。そのため、レーダーレンジは主にレストランやホテルの厨房、飛行機や列車の食堂など、大量の食事を素早く提供する必要がある業務用の厨房機器として導入されていきました。
3.2 家庭用電子レンジが普及するまでの道のり
「怪物」レーダーレンジの登場から、電子レンジが一般家庭に普及するまでには、約20年もの歳月が必要でした。その道のりは、小型化と低価格化への挑戦の歴史そのものです。
1955年にはアメリカのタッパン社から初の家庭用モデルが発売されましたが、まだ壁に埋め込む大型のもので価格も1,300ドル近くと高価であり、広く普及するには至りませんでした。
大きな転機が訪れたのは1960年代後半です。レイセオン社が買収したアマナ社から、カウンタートップに置ける小型化されたモデルが登場します。価格も500ドルを切り、ようやく一般家庭でも手が届く存在になりました。
日本では、1962年に早川電機工業(現在のシャープ)が国産第1号機を発売。当初は業務用で価格も非常に高価でしたが、その後の技術開発と量産化により、価格は急速に低下。1970年代後半から80年代にかけて、電子レンジは「三種の神器」に次ぐ新たな必需品として、日本の家庭に爆発的に普及していったのです。
4. まとめ
電子レンジ発明の「ポケットのチョコが溶けた」という話は有名な都市伝説です。真実は、技術者スペンサーが軍事用レーダー研究中にマイクロ波の熱作用に気づき、最初にポップコーンを温めた、という鋭い観察眼が生んだ発見でした。



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