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長嶋茂雄はやっぱりスゴい!歴史に残るプレーと名言の数々

  • sinsirokeibi
  • 6月15日
  • 読了時間: 3分
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去る6月3日、突然の知らせに日本中が驚いた。「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄氏の訃報だった。

昭和から平成にかけ、日本中を魅了し続けた長嶋茂雄氏について、まとめました。


長嶋茂雄の伝説:ミスタープロ野球の偉業と逸話


1. 長嶋茂雄とは?

長嶋茂雄は、日本プロ野球界の象徴的存在であり、「ミスタープロ野球」として広く知られています。1958年に読売ジャイアンツに入団し、圧倒的な打撃力と華麗なプレースタイルでファンを魅了しました。通算成績は2471安打、444本塁打、1522打点という驚異的な数字を誇り、引退後も監督として巨人を率いました。


2. 伝説のプレー

長嶋茂雄には数々の伝説的なプレーがあります。その中でも特に有名なのが天覧試合でのサヨナラホームランです。

  • 天覧試合(1959年6月25日)   天皇・皇后両陛下が観戦する中、阪神との試合で長嶋は9回裏に劇的なサヨナラホームランを放ちました。この試合は日本プロ野球史に残る名場面として語り継がれています。

  • ベース踏み忘れ事件(1958年)   ルーキーイヤーの広島戦で、ホームランを放ったものの、一塁ベースを踏み忘れてしまい、記録は「投ゴロ」に。もし踏んでいれば、新人王に加えてトリプルスリーも達成していた可能性がありました。

  • バットを持たずに打席へ(1968年)   相手チームが敬遠策を取った際、長嶋はバットを持たずに打席に立ち、「お客さんは敬遠を見に来ているんじゃない、バットを振るのを見に来ているんだ」と抗議しました。


3. 天然すぎるエピソード

長嶋茂雄は、そのプレースタイルだけでなく、ユーモラスな性格でも知られています。数々の天然エピソードがあり、ファンの間では「長嶋語録」として語り継がれています。

  • 職業欄に「長嶋茂雄」   ホテルのチェックイン時に職業欄に「長嶋茂雄」と書いたという逸話があります。「確かに間違ってはいない…?」とファンの間で話題になりました。

  • 「I live in Edo」   英語の過去形を聞かれた際、「I live in Tokyo」の過去形を「I live in Edo」と答えてしまったという伝説もあります。

  • 息子・一茂を球場に置き忘れる   試合に夢中になりすぎて、息子の一茂を球場に置き忘れて帰宅。妻に「一茂は?」と聞かれて初めて気づいたというエピソードも有名です。


4. 監督としての伝説

長嶋茂雄は、選手としてだけでなく監督としても数々の伝説を残しました。

  • 「メークドラマ」(1996年)   シーズン途中で首位広島に11.5ゲーム差をつけられた際、「プロ野球は何があるかわからない。メークドラマだ!」と発言。その後、巨人は奇跡の逆転優勝を果たしました。

  • 「失敗は成功のマザー」   1977年の開幕前、「失敗は成功のマザーです」と発言。英語の「失敗は成功の母(Failure is the mother of success)」を独自の解釈で表現したものですが、ファンの間では名言として語り継がれています。


5. まとめ

長嶋茂雄は、プレーの華やかさだけでなく、ユーモアあふれる性格と数々の伝説的なエピソードで、日本プロ野球界に大きな影響を与えました。彼の存在は、今もなお「ミスタープロ野球」として語り継がれています。これからも長嶋茂雄の伝説は、野球ファンの間で語り継がれていくことでしょう。

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